チーズバーガー2個分の欠落した人生
どうも、最近チーズバーガーの話をみんなしているらしいです。
チーズバーガー2個分の快感、オーガズムの際に脳に出るドーパミンの量らしいけど、俺たちの人生はいつもチーズバーガーが多すぎるか足りなすぎるかどちらかで、それは到底チーズバーガーを積み重ねては表現できない悲しみだと思うんだ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年4月20日
今週のお題「間取り」
これは間取りと関係ないし、物事のソースに玉さんのツイートを引っ張ってくるのは些か適当すぎるんじゃないかな。例えばこの流行だって、私の周りではチーズバーガー2個分が流行ってるのだとしても、世の中的には新生活が普遍的な4月末のテーマだったりする。
そう思わない? そう思わない。
私の部屋の間取りには、チーズバーガーが2個分ほど欠落してる。
絶賛子供部屋的ポジションと壁の薄いこの部屋にはチーズバーガー2個分の欠落しかなく、それで別に誰も困らないで暮らしていけてる。服薬のせいもある。チーズバーガーの欠落した穏やかな間取りで上もなく下もなくうだうだしてる。
私だって昔は積極的に自立したいと思ってたし、あまつさえ恋人だっていた。バリバリ働きたいと思っていたし、目先のことに囚われて一生が終わると思ってた。
服薬は私からチーズバーガー2個分の欠落をつくり、生暖かい部屋で上も下もない生活をしてる。卒論がある。それが幾分か人生をパリッとさせてくれる。
サクサク、パリッ。
「チーズバーガー2個分の快感」の対義語は、「大好きな猫がいなくなってしまったみたいに悲しい」かな。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年4月20日
悲しみは間違いなくチーズバーガーで計量できない。大好きな猫がいなくなってしまった悲しみを表現するなら、それはきっと定量的でない言葉でやるしかない。でも、そういう途方もなく計量不可能な悲しみが存在するからこそ、途方もなくうれしい日も人生に期待していい。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年4月20日
人生にチーズバーガー2個分の快感が欠落してる状態は、まさに「生暖かい部屋で上も下もない生活をしている」ではないだろうか。投薬によって不能になることを表現した言い回しで、私はなかなか気に入っている。
生暖かい部屋で上も下もない生活をしている。最近部屋にデスクトップが加わり、たまに点灯してもすぐ消してしまう。家族仲はまあまあで、部屋はそこそこ広くベッドとデスクトップと私物と、ひとり暮らしを始めた妹が残した私物が転がっている。間取りは家の北西の角部屋で、最近の家だから部屋は角しかなかった。前の家から本はまだ移していない。チーズバーガーが見当たらないからだ。チーズバーガー2個分の欠落は、私から能動的な部分を削ぎ取り読まれなくなった本はひっそりと静かにそこにあり、それを見ることなくベッドと風呂と台所を行き来するだけの生活をしている。
でも、この生暖かい部屋は、そろそろ脱出しないといけなかったりする。
生暖かい部屋での生活を忘れてしまうくらいの人生が、私にはあるのだろうか。チーズバーガー2個分の積極性を取り戻し、何事もなかったかのように生きる日が来るのだろうか。同じ間取りでも、チーズバーガー2個分の欠落したこの部屋では、上も下もない生活をするしかなかったあの時のことを、私はこれからの人生でいつまで覚えておけるのだろうか。
下人の行方は誰も知らない。
これからの未来は相変わらず未定であり、チーズバーガー2個分の自信を取り戻した未来の私が、しっかりとした足取りで踏む未来のその部屋は、きっとデスクトップは沢山点き私物は片付けられ本に埋もれ、そうやってこの間取りから、本来の自分を取り戻すのだ。
P.S.本来の自分を取り戻す第一歩として病院を変わろうかと思ってる。未来は未定。希望ならある。薄くだけど。