day//Dream

アリジゴクの中より(世界の車窓から)

批評はこれからどんどん先細りになるのに、お前は何故こんなものばかり書いているのか

批評ブログ。感想ブログ。それらはすっかり過去のものになってしまった。多分今のファンはTwitterに感想を書いて仲間とワイワイして、時たま公式に捕捉されたりするのが最近のトレンドだと思ってる。

借金玉は言った。これからの批評は先細りだと。別にそこまでは言ってないかもしれない。何かの素晴らしさを語るために、何かをこき下ろすのはもう時代遅れ、それだけでこれまでの批評は先細りだし、これから批評がしたいならそれ以上の要素をつけないといけない、なんて私でも思えてしまうのだから。

主要コラムニストの皆さんだって、気をつけている筈だ。そして動向を伺っている。

何かをこき下ろすのが時代遅れになりつつある時代に見た、物語の解釈講座の、好き勝手上げたり落としたりしてる語り口が好きで、これを書いてる。

批評なんて、本来、結論はどうでもいいのだ。

面白いも、面白くないもどうでもよくて、そこまでの筋道を面白おかしく書くことで、読んだら人生がチョット豊かになる。つまり、俺の考えを聞けってヤツで、それが結局面白いか、世間一般の結論とどう折り合いがつくのか。そういうことが重要であって、それでももう、こき下ろすのは時代遅れになってしまった。

物語の解釈講座も、こき下ろしたり持ち上げたりしてる動画は既に非公開になっている。

これからの人間は、だんだん世間一般とはかけ離れた感想や、貶めるような感想を忌避するようになっている。

アメリカでポリコレが重要になったように、日本ではこき下ろすような批評を忌避するようになってしまった。出版業界だってそうだ。いわゆるトンデモ本はバブル世代くらいから上に向けて書かれているように、そういう結論を若い世代は嫌うのだ。

じゃあ、私達の世代のトンデモ本を買うような人は何を好きになるのだろう?

プペルとか、ポケモン映画の、ココとかになるんじゃないかな。誰も傷つけない結論で、敷居が低くて、ポリコレみたいに守られていて、まるで誰が見ても感動しますよって、誇らしげな顔をしてるような。

それでも、誰もが感動しないような、重箱の隅をつつくようなことを、このブログに書き続けるということ。

批評ブログは先細りになり、同年代は結婚し家庭を持ちプペルとかココを見て感動している。お前はお小遣いの全てを本に捧げるような人生を送り、無事ココだのプペルだのでは物足りなく思えるような人生を送ってる。

私から見たら、大多数は満足できずに生きているのでは? 自分の人生を皆スタンダードに思えるみたいに、私も自分みたいなヤツばかりだと思ってる。

そういう奴に、チョロッと読んでほしいというか、この文章を刺さる奴を探して書いている。

色んな記事を読んだけど、何を読んでも面白くないとか、多分そういう人はこの記事だって面白くないのだろうけど、刺さればいいな。なんて思ってる。